綺麗事と現実

あれから5年、復興は工事用の道路が出来たのみ、というニュアンスの文があるメディアで流れていた。

復興には時間がかかっていると、色んな人が言う。

確かに遅いのかもしれない。しかし、そこで道路をつくった作業員の方は、きっと一生懸命復興作業をしている。誰かが道をつくっている。

これだけしか復興は進んでいない、と言ったら、その方の作業も否定するように感じる。問題はきっと違うところにあるのでしょう。




こんな事を言っている私は、復興のために現地へ行ったのだろうか。

5年間、自分に出来る僅かなことしかしていない。

よくある、勇気を与えるために音楽を届けたいというやつが一般的か、それならばアコースティックギターを持って行けばいい、が、私が歌いに行ったとして、全く意味があると思えない。

私が、この件に関して一生懸命に活動していると思っているアーティストは2人いる、2人ともご自身の音楽での売上から多額の寄付をしている。それが音楽で助けるということだろうと私は考える。生半可な気持ちで歌など歌ったところで現地の方々の方がよっぽど強い。現地の方々の言葉の方が、これだってドキュメンタリーでしか聞いたことが無いが、よっぽど響く。私の憶測の歌詞などおそらく全く見当違いであろう。

私はこの5年間、復興は進んでいるのだろうかと思ってきたが、それすら作ったような話に聞こえるだろうが、そんな事は大凡無意味なのだ。気になるなら確認しに行けば良い話だ。

誰かが怠けているから復興は遅いのだろうか。そもそも遅いのか。怠けていない、これが復興のスピードなのだ、それほどの被害だったのだと、そういったことでは無いのか。基準も事実もわからない。誰かの恋愛ゴシップの話題よりも、余程教えて欲しいことだ。


軽々しく、大変だなあ、と口に出来ない。

大変だなあって、お前に何かわかるのかよ。と、自問自答してしまう。

私は津波をテレビでしか見ていない。

家の屋根に辛うじてのぼって、目の前が一面波だらけになるなど、どう想像しよう。高台に避難したとて、家が無くなっているとしたら。辺り一面が瓦礫になっていたら。

最早、同意も激励も悲観も、全てが無意味のように思える。


そんなこと毎年思っては、また日々が過ぎていく。きっとあっという間に何十年と経つ。いつ、何かをするのだろう。まずは、収益の全てを被災地に寄付するようなイベントを作ることを目標にしようと思った。


そして今まで数々の震災があり、それに必ず被害を受けた方がいらっしゃる。だから、何故この東日本大震災にのみ、このような話をするのかと昨夜考えていました。しかし、自分が生きてきた中でしっかりその余波を体験した震災として、今思うことを記しました。


亡くなられた方々が安らかに眠れますように。

そして、被災地の方々が日常を取り戻せますように。